アレクサンダー・フレミングによるペニシリン発見:アオカビという偶然が生んだシンクロニシティ
アレクサンダー・フレミングとペニシリン発見の偶然性
アレクサンダー・フレミング卿によるペニシリンの発見は、20世紀における最も重要な医学的進歩の一つとして広く認識されています。多くの感染症に対する画期的な治療法をもたらし、数え切れない人々の命を救ったこの発見は、しばしば「幸運な偶然」として語られます。しかし、この一連の出来事を単なる偶然として片付けるのではなく、カール・グスタフ・ユングが提唱したシンクロニシティ(同期性)という観点から考察することは、探求者の内面と外界で起こる出来事の間の意味深い関連性について新たな視点を提供する可能性があります。
ペニシリン発見の具体的な経緯
1928年の夏、ロンドンのセント・メアリー病院で細菌学の研究を行っていたアレクサンダー・フレミングは、休暇を取る前にブドウ球菌の培養実験を行っていました。彼は、培養皿を研究室の片隅に置いたまま休暇に出かけたとされています。休暇から戻った彼は、放置されていた培養皿の一つに奇妙な現象が起きていることに気づきました。その培養皿には、空気中から混入したと思われるアオカビ(Penicillium notatum)が生えており、そのカビの周囲だけ、ブドウ球菌のコロニーが溶解し、増殖が抑制されていたのです。
フレミングはこの現象に強い関心を持ち、カビを分離して詳細な研究を行いました。彼はこのカビが作り出す物質に「ペニシリン」と名付け、それが多くの種類の細菌に対して強力な抗菌作用を持つことを発見しました。しかし、ペニシリンの分離・精製が困難であったことなどから、その後の研究は一時停滞し、実際に薬剤として実用化されるまでにはフレミングの発見からさらに約10年以上を要することになります(これはオックスフォード大学のハワード・フローリーとエルンスト・チェインらの貢献によります)。
「偶然」が重なった発見
ペニシリン発見が「偶然」とされる理由には、いくつかの要因が指摘されています。 第一に、培養皿を「放置した」というフレミングの不注意です。もし彼が培養皿を適切に片付けていれば、この現象に気づくことはなかったでしょう。 第二に、当時のロンドンの気候条件が適切であったことです。アオカビの胞子が飛んできた後、ブドウ球菌が増殖し始め、その後に気温が低下したことが、アオカビがペニシリンを産生し、ブドウ球菌の増殖を抑制するのに適した環境を作り出したと考えられています。 第三に、飛んできたアオカビが、たまたまペニシリンを産生する特定の株であったことも重要です。
これらの複数の偶発的な要素が重なった結果として、フレミングはブドウ球菌の溶解という現象を観察することができたのです。
シンクロニシティとしての解釈
このペニシリン発見における一連の「偶然」をシンクロニシティとして捉えることは可能でしょうか。ユングの同期性原理は、「非因果的な連関」すなわち、直接的な因果関係はないにもかかわらず、二つ以上の出来事が意味深く関連して起こる現象を指します。そこでは、個人の内面状態(思考、感情、意図、無意識のテーマなど)と外界の出来事の間に、象徴的な、あるいは意味的な呼応が見られることが重視されます。
フレミングは長年にわたり、細菌を殺す安全な物質(つまり抗菌物質)を探求していました。これは彼の意識的な探求テーマであり、あるいは無意識的なレベルでも根深い関心事であったと考えられます。ペニシリン発見の場面をシンクロニシティとして解釈するならば、彼の「病原菌から人類を救いたい」という内面の深い探求や意図が、外界で起こった「アオカビの胞子が培養皿に落ち、ブドウ球菌を殺す物質を産生した」という出来事と、意味深く呼応したと見なすことができます。
アオカビという特定の生物が、それまで彼が探求していた「細菌を殺す」という機能を持って、彼の目の前に「現れた」という出来事は、単なる物理的な偶然を超えて、探求者の内面と外界の間の象徴的な結びつきを示唆しているとも考えられます。アオカビは自然界に遍在する存在でありながら、ここでは「細菌を抑制する」という特定の文脈において、フレミングの長年の問いに対する答えとして顕在化したかのようにも見えます。
もちろん、科学的にはこれは温度や湿度、微生物の生態といった自然法則に基づいた現象として説明されます。しかし、探求者の特定の意図や関心が頂点に達した時に、まさにその探求に関わる重要な要素が、偶発的な形で目の前に現れるというパターンは、シンクロニシティの一般的な事例に見られる構造と類似しています。ブドウ球菌の溶解という現象は、フレミングが求めていた「抗菌作用」という機能の具現化であり、彼の探求が外界の出来事と呼応した結果として捉えることができるでしょう。
まとめ
アレクサンダー・フレミングによるペニシリン発見は、複数の偶発的な要素が重なって実現した歴史的な出来事です。科学的には詳細な因果関係によって説明されますが、この発見に至る過程における「偶然」の重なりは、単なる確率論的な事象としてだけでなく、フレミングの長年の探求という内面的なテーマと、アオカビの出現という外界の出来事が意味深く関連し合った、シンクロニシティの一例として考察する余地を提供します。この事例は、科学的発見における「偶然」が、探求者の意識や無意識とどのように関連しうるのか、また、そこにどのような意味を見出すことができるのかを考える上で、興味深い示唆を与えていると言えるでしょう。