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アルノルト・ベックリンの『死の島』:複数描かれた絵画と依頼主たちの運命のシンクロニシティ

Tags: シンクロニシティ, ユング心理学, 芸術, 象徴, アルノルト・ベックリン, 死の島

アルノルト・ベックリンと『死の島』

アルノルト・ベックリン(Arnold Böcklin, 1827-1901)は、スイス出身の象徴主義の画家であり、特にその神秘的で幻想的な風景画で知られています。彼の作品の中でも最も有名で、多くの人々に強い印象を与えたのが『死の島』(Die Toteninsel)と題された一連の絵画です。この絵は、荒涼とした海に浮かぶ小さな島に、糸杉が立ち並び、岩壁に墓所の入口らしきものが見えるという、静寂と神秘に満ちた情景を描いています。手漕ぎボートで島に向かう白い衣服の人物と棺のようなものが描かれているバージョンもあります。

特筆すべきは、『死の島』がベックリンによって合計5つのバージョンが描かれたことです。そして、これらの絵画が描かれた背景や、絵画を依頼・購入した人々のその後の運命に、シンクロニシティとして捉えられうる奇妙な符合が見られる点です。

各バージョンの『死の島』と依頼主たち

『死の島』は1880年から1886年にかけて5回制作されました。それぞれのバージョンには異なる依頼主や購入者が存在し、彼らの状況と絵画、そしてその後の出来事との間に興味深い関連が見出されます。

最初のバージョンは1880年に、画家のパトロンであったアレクサンダー・ギュンターが依頼したものです。ギュンターはこの絵を受け取った後に間もなく病に倒れ、亡くなったと伝えられています。絵画が完成した時期と依頼主の死が近接していたという事実があります。

最も有名な3番目のバージョン(1883年)は、美術商であるフリッツ・グールリットのために描かれました。このバージョンは広く複製され、多くの人々にベックリンの名前を知らしめることとなりました。この絵に特に強い関心を示した人物の一人に、ロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフがいます。彼はこの絵からインスピレーションを得て、交響詩『死の島』作品29を作曲しました。ラフマニノフは『死の島』のメランコリックで運命的な雰囲気に深く共鳴したと言われています。彼の生涯もまた、ロシア革命による亡命など、ある種の喪失や漂泊といったテーマと無縁ではなかったと言えるかもしれません。

また、2番目のバージョンは、後に第一次世界大戦中に戦死するドイツの軍人、ロベルト・フォン・ケッセルに対して描かれました。彼の死もまた、「死の島」というテーマと無関係ではないように見えます。

さらに、ベックリン自身も晩年まで『死の島』に特別な思い入れを持っていたとされます。彼は自身のためにもこのテーマを繰り返し描きました。彼の人生においても、いくつかの悲劇的な出来事や喪失がありました。

シンクロニシティとしての解釈

これらの事例をシンクロニシティとして考察する場合、単なる偶然の一致以上の意味を見出す視点が求められます。カール・グスタフ・ユングの提唱した同期性原理(Synchronicity)は、意味のある偶然の一致、すなわち因果関係がないにも関わらず、二つ以上の事象が同時に、あるいは近接して発生し、そこに何らかの心理的な意味や関連性が感じられる現象を指します。

ベックリンの『死の島』の場合、画家が特定のモチーフを描くという創造行為(内的なイメージの表現)と、絵画を依頼・購入した人々のその後の個人的な運命(外的な出来事)との間に、主題的な類似性や象徴的な呼応が見られます。絵画の主題である「死」「終焉」「隔絶された場所」といったテーマが、依頼主たちの死や喪失、あるいは漂泊といった現実の出来事と符合しているのです。

ユング心理学では、このような現象は集合的無意識に存在するアーキタイプや象徴が、個人の無意識(夢や空想、創造的表現など)と外界の出来事において同時に活性化されることで生じうると考えられます。アルノルト・ベックリンという画家は、「死の島」という強力な象徴的イメージを無意識から引き出し、それを絵画として具現化しました。一方、その絵画に惹きつけられ、あるいはそれを依頼した人々は、それぞれの内的な状況や運命の流れにおいて、この象徴的なテーマと共鳴する何かを抱えていた可能性があります。絵画は、彼らの無意識的な状態や予感、あるいは避けられない運命の象徴的な前触れとして現れ、それが現実の出来事と非因果的に連関したと解釈することができます。

考察の視点

もちろん、これらの事例を単純な偶然として片付けることも可能です。人間の認知はパターン認識に長けており、無数の出来事の中から意味のある関連性を見出そうとする傾向があります(アポフェニア)。また、後知恵バイアスによって、結果を知ってから過去の出来事に意味付けを行うこともあります。

しかし、複数の異なる依頼主に対して描かれた同じ主題の絵画が、それぞれの依頼主のその後の運命と主題的な点で呼応しているという事実は、単なる偶然以上の何かを示唆していると考える余地もあります。芸術作品が、単なる個人の創造物であるだけでなく、集合的無意識の深層からのメッセージや、個人の内面と外界を結びつける象徴的な接点となりうる可能性を示唆しているとも言えます。

アルノルト・ベックリンの『死の島』を巡る一連の出来事は、芸術創造、個人の心理、そして現実の出来事の間の複雑な相互作用を、シンクロニシティという視点から探求する興味深い事例を提供していると言えるでしょう。