トゥトアンクアメン王の呪い:発掘関係者を巡るシンクロニシティ事例
古代エジプト王墓の発見と「呪い」の伝説
1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーターによって、エジプトの王家の谷でトゥトアンクアメン王のほぼ手つかずの墓が発見されました。これは20世紀における最も重要な考古学的発見の一つとされています。しかし、この世紀の大発見には、墓を冒涜した者には災いが降りかかるという、古くから伝わる「ファラオの呪い」の伝説がつきまといました。そして、実際に発掘に関わった人物やその関係者の間で、不可解な死や不運が相次いだと広く報じられ、「トゥトアンクアメンの呪い」として世間の注目を集めることになります。
これらの出来事は、単なる迷信として片付けられることが多い一方で、シンクロニシティ(同期性原理)の観点から捉え直すことも可能かもしれません。カール・グスタフ・ユングが提唱したシンクロニシティは、因果関係がないにもかかわらず、意味のある一致として体験される二つ以上の出来事の連関を指します。ここでは、「トゥトアンクアメンの呪い」として語られる一連の出来事を、シンクロニシティの事例として考察します。
発掘に関わる人々に起こったとされる出来事
トゥトアンクアメン王墓の発掘資金を提供したカーナヴォン卿(ジョージ・ハーバート)は、墓の公開から数ヶ月後の1923年4月にカイロで急死しました。蚊に刺された傷が原因の丹毒と肺炎が死因とされていますが、彼の死と同時にカイロ全体が停電した、ロンドンの自宅で飼っていた犬が遠吠えをして死んだ、といった話が付随して語られています。
他にも、カーナヴォン卿の異母弟であるオーブリー・ハーバートが虫垂炎の手術後に死亡したこと、墓を訪れたアメリカ人実業家ジョージ・グールドが発熱して死亡したこと、カーターの秘書であったリチャード・バーテルが急死したこと、エジプト総督リー・スタック卿が暗殺されたことなど、発掘に関わった、あるいは墓に何らかの形で接触したとされる人々の不審な死や不幸が次々と報じられました。これらの出来事が重なり合うことで、「呪い」の実在が囁かれるようになったのです。
シンクロニシティとしての解釈の可能性
これらの出来事の多くは、医学的または合理的な説明が可能であるとする見解が一般的です。当時のエジプトの衛生状況、年齢、既存の疾患などが複合的に関与した可能性は十分に考えられます。しかし、これらの個別の出来事が、トゥトアンクアメン王墓という特定の文脈、すなわち「古代の王の墓を暴く」という行為と時期を同じくして発生したという点に注目すると、シンクロニシティ的な視点からの考察が可能になります。
ユングのシンクロニシティの概念においては、個人の内面的な状態(感情、思考、無意識の働き)と外界の出来事との間に、意味のある呼応が見られることがあります。また、集合的な無意識や元型的なイメージ(この場合は「死」「聖域への冒涜」「古代の力」など)が活性化し、それが外界の出来事と連関するという考え方も示されています。
「トゥトアンクアメンの呪い」の事例においては、以下のような可能性が考えられます。
- 集合的無意識の活性化: 古代エジプトのファラオ、特に死後の世界への移行というテーマは、人類の集合的無意識に深く根差した元型的イメージと関連しています。墓を開くという行為は、この強力な元型を活性化させ、関わった人々の心的な領域に影響を与えた可能性が考えられます。
- 象徴的な意味と現実の符合: 墓という場所、死者である王、そして「呪い」という概念は、強い象徴的な意味を帯びています。これらの象徴的な要素が、発掘に関わった人々の現実の生活や運命において、不運や死といった出来事として「符合」したと捉えることができます。これは因果関係ではなく、意味的な連関として現れたシンクロニシティと解釈する視点です。
- 心理的要因と選択的注意: 「呪いがある」という予期や信念は、関係者の心理状態に影響を与え、不安や緊張を高めた可能性があります。また、一度「呪い」という枠組みが生まれると、その後の不運な出来事がすべて「呪い」に関連付けられて認識されやすくなります。これは、シンクロニシティの現象が、私たちの意識による意味づけや選択的注意によって強調される側面を示しているとも考えられます。
これらの出来事が実際にシンクロニシティであると断定することは困難ですが、単なる偶然や迷信として片付けるだけでなく、人間の心理や集合的なテーマが外界の出来事といかにして意味深く連関しうるのかを考える上での一つの事例として捉えることは可能です。
まとめ
トゥトアンクアメン王墓の発掘に関わる人々に降りかかったとされる一連の出来事は、「ファラオの呪い」として広く知られています。これらの出来事は多くの場合、合理的な説明が可能なものですが、墓という象徴的な場所、古代の王、そして「呪い」という概念が織りなす文脈において、一連の不運や死が意味のある一致として体験された点に注目すると、シンクロニシティの視点から考察する余地が生まれます。
集合的無意識の活性化、象徴的な意味と現実の符合、そして心理的要因や選択的注意といった側面からこの事例を分析することは、シンクロニシティが単なる物理的な因果律を超えた、人間存在のより深い次元に関わる現象である可能性を示唆していると言えるでしょう。この事例は、歴史上の出来事における奇妙な符合を、学術的な観点から探求するための興味深い対象であると考えられます。